歴史に学ぶ不用品回収と廃棄物処理について

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歴史に学ぶ不用品回収と廃棄物処理

現代日本は産業の発達に伴い、あらゆる種類のごみ問題と共存し戦っている社会でもあります。科学技術も発達し、ごみの処理方法も進んでいると思いきや、公害問題や最終処分場の問題など次々と問題が山積しているのが現状です。個人レベルでも細かい分別、勝手に処分できないなど不自由を感じます。

本当に今の社会の廃棄物の処理方法は正しいのか?と感じるところもあり、歴史に学んでみようと思っていろいろ調べてみました。調べていくと現代社会の問題解決につながるヒントがいくつもありました。今回は第1弾という事でコラムを書きたいと思います。

まず、人類と廃棄物問題は、とても密接に結びついており、その時代時代の生活レベルや文化を色濃く反映しています。例えば縄文、弥生時代の遺跡からは、貝塚が発見されており、日常のごみ捨場だったことは知られています。奈良、平安時代には、掃部(かもん)・掃部司(かもんのつかさ)という廃棄物処理に携わる官位の人たちが存在したことが伺えます。

昔の廃棄方法

中世から近代へかけては、都市部のし尿が農村の肥料として重宝され、農村からの作物が都市で消費されるという一種のリサイクのシステムができていました。こうした役割分担で物質循環が行われ、衛生的にも清潔を保ち、下肥(人糞)などは都市住民の財源の一つという認識になっていたと考えられます。

特に江戸時代は、江戸や京都に人口が集中し、近所でごみを処分することが難しくなり、ごみ処理の問題が重要視されてきた時代です。現代とよく似た状況だったと言えます。

最初は空き地や川に捨てたりしていたようですが、その後、各町が「会所地(かいしょち)」というごみ投棄場を作り、幕府の通達により1655年には深川永代浦をごみ投棄場に指定しました。徳川家綱(四代将軍)の時、「浮芥定浚組合(うきあくたじょうざらいくみあい)」と呼ばれる幕府の許可を受けた専門の処理業者が鑑札をもらい、一定の場所に集められたごみを処理するというシステムになりました。

そして公認の処理業者が、元禄期から本格的に埋め立て処理をはじめ、深川永代浦の埋立てなど主な埋め立て地だけでも10か所に及びました。当社のような廃品回収業者の始まりだったのかと感慨深いと同時に現代までつながるごみ問題の本格的対策(収集・運搬・処分という、ごみ処理の3つの過程)が江戸の町の中で試行錯誤され組織化されたと言えます。 ただ、そのころの庶民から出されるごみは、生ごみや灰などであり、自然に分解してしまうものばかりでした。それが現代との大きな違いを感じます。

第一回はここまで、第二弾ではさらに具体的な庶民の知恵など書きたいと思います。

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